Commentaries on the Wargames

ゲームについてあれこれ書いていきます

ゲームのアバター問題から見る不自由感

極めて個人的な話なのですが私はゲームのアバター(主人公の見た目)を選べる場合は必ず同性に設定します。

そのゲームをプレイする時には自らの分身として動いてもらいたい、という率直な思いなのですが見た目は変更不可で名前だけは自由に入力出来るというゲームの場合(例えばゼルダシリーズなどが該当)でもまだ感情移入自体出来るので苦に感じないことが多いです。

設定出来る項目が多い場合、出来る限りアバターの見た目は自分自身に近付けるのですが(と言っても完全にそっくりだと流石に気持ち悪いので)多少のデフォルメ化とか美化するのですが…。

逆にどれだけ自由に設定出来たとしてもゲーム内の主人公の意思があまりに強かったり、見た目・名前等一切の変更が出来ないゲームなどは「不自由感」を強く感じてしまったりするのでそういうゲームは敬遠してしまうことが多いです。

 

まずアバターを同性にしようと思ったのは切っ掛けがあり、私がとにかく大好きなファイアーエムブレムシリーズの「覚醒」において女性主人公でプレイし始め、そのままクロムと結ばれて彼の赤面をドアップで見た辺りで後悔が勝ってしまい、それ以降は意地でも男性アバターでゲームをするようになりました。

恋愛要素がないモンハンなどのシリーズでも昔は女性アバターも(今はタイプ1、タイプ2という表記になりましたが)使用していましたが、やはり覚醒事件以降は男性ハンターのみでプレイしています。

マイキャラのいない時代のFEや、FE烈火の軍師みたいな影の薄さだとどのように設定しても苦になることはないのですが…

 

モンハンのように装備ごとに見た目が変わるような要素だと、かつて女性ハンターを使っていた時(重ね着装備なんて無かった時代でもある)だと見た目的にも綺麗な装備じゃないと「なんだかキャラと合わないのでは」と感じるようになっていたのを思い出します。がっつり鎧みたいなのは装備させ辛く、キリン一式なんかをほぼ固定で装備させていた苦い記憶があります。

とはいえ主人公=自分というロールプレイ下でも見た目などでは出来れば一式で揃えたいという感覚は残っているので、アバターそのものの問題ではなく私の個人的な「なんでも一式で揃えたい病」なのかもしれません。

それでも見た目部分だけで装備を固定することがなくなったのは大きな進展で、「新しい装備を作っても見た目が…」ということが少なくなったので飽き辛くなったと思います。

 

ただファッション的要素は主人公のみならず仲間キャラにも存在します。

FE風花雪月などは各クラスの多彩な見た目もあるのですが、例えばエーデルガルトがアーマーナイトのクラスの見た目をしているとなんか違和感を感じてしまうため、結局全員の見た目は散策時の格好で固定してプレイしていました。

そうすると今度はクラスごとの特徴以外の見た目要素は戦闘時のポーズだけになるという味気の無い状態にもなってしまうのですが…

エンゲージでは別問題もあり、ソラネル内のファッションに関してチケットを消費して手に入る紋章士と同じ衣装を気に入っていてもキャラクターの等身の関係で装備出来ない場合があり、結局一部のキャラのみが楽しめる要素だったのは不自由に感じてしまいました。

 

私が子供の頃は主人公の見た目や名前は変更不可かつ主人公もがっつりキャラ付けされているような作品が多かったと記憶しているのですが、ゲームの表現的な部分で「自由になった」分その反動として昔の当たり前が不便に感じてしまうようになってしまったのでしょう。

そういう点では贅沢な悩みと言えるかもしれません。