Commentaries on the Wargames

ゲームについてあれこれ書いていきます

【読書感想記】「マルクス・アウレリウス 自省録」「ローマの哲人 セネカの言葉」

以前の記事で名前だけは挙げていた「マルクス・アウレリウス「自省録」」から紹介します。

ローマ史としては五賢帝の1人であり「哲人皇帝」とも呼ばれるマルクス・アウレリウス。幼少期の一時期には哲学を学ぶあまり自らも哲学者風の装いでベッドではなく直に床で寝るようになったという。

そんな彼が晩年に書いていた自省録。その思想の一端に少しでも触れられるかと思い購入するに至りました。

内容は非常に哲学的で魅力的なテーマです。

しかしストア派というマルクス・アウレリウス本人の大元にある哲学・思想をほとんど知らない状態から読んでしまっていたので解説を読み合わせながら読み進める状態でした。

学生時代には少しだけ哲学を学んだこともありましたがストア派云々というところまではいかなかった、という微かな思い出も蘇りましたが……

とはいえ全部が全部分かり辛いものでもありません。

「他者の行いに憤激せず」という理性の節制とも呼びうる態度に関するマルクス・アウレリウスの考えは大いに尊敬できるものです。

これも自己の内にあるものは自らの考えや行動によってどうとでもなる物ですが、自己の外にあるものは自らの力ではどうしようもないものとして捉えること、またそこに執着しないことで外部に依存せずに自らに従って生きるという哲学を教えてくれるものです。

また人間に降りかかるあらゆる出来事は流れる大河であり、そこで一瞬だけ人間の前に現れてはそのまま流されて行くものとして捉えている。

合理的なストア哲学を好んだ哲人皇帝の凄まじさ、また思慮の深さ、謙虚さを学ぶことが出来るかもしれません。

それはともかくこの手のよくある「偉人の名言」的なものとしてではなく、文章を基にして「自らの心で(感性または理性によって)考える」ことに哲学の本質があると私は思っているので、(この手の哲学に興味のある)各々がこの本を手に取り読んだ上で各々が考えるに至る部分にこそ意味があるのだと思います。

マルクス・アウレリウスのようにあえて思考することで平静を保ち、激怒することも悲しむことも誰かを憎むことすら抑制し、物事の善悪を己の中にのみ問い、全てを自然(神の定めた運命的なもの)として受け入れる。このような生き方、考え方は多くの人間が容易に出来得るものではない。

そう捉えるとこの自省録は人間性の究極の表現でもあるように思えてしまいます。

このマルクス・アウレリウスの自己表現が評価され後世に残ったことによってもそれが証明される。当時のローマ人や後世の西洋人たちにとっても非常に価値ある著作として映ったのであろう。

とにかく自己の感性を他者に依存しないという振る舞いには私自身としても大いに共感している。しかし即実践するには私の人間性の研磨が足りないと思われるのできっと難しいことでしょう。

 

次に「ローマの哲人 セネカの言葉」という本です。

このセネカという人物は以前の読書感想記の記事にも書いたあの「暴君ネロ」を補佐した哲学者セネカです。彼ともう1人の補佐役がアドバイスをしていた時にはネロは善政をしていました。(以前の読書感想記でも書いたようにネロはセネカ引退後もちょこちょこ思い出したように時たま善政をしていたようではありますが)

最終的には皇帝ネロの暗殺計画に連座したという疑いを掛けられて、ローマ大火の翌年にネロによって死を命じられるという悲運な最期を遂げました。

こちらのセネカストア派の哲学者です。上記のマルクス・アウレリウスより100年以上早く生まれた人物です。

そのセネカの各著作をまとめて要約し抜粋し解説するというのがこの本。

特に「人生の短さについて」における閑暇の重要性を説くセネカの言はまさに必見と言えるでしょう。

これは「生きることは常に学びであり、それを他人に教えられるほど学んだ者はいない」というような考えで「暇=人生について考える時間」とする哲学的思考とも言えるでしょう。

かのアウグストゥスすら閑暇を心から欲したということからそれを説明しようとするセネカからは「抽象的で分かり辛い哲学」という哲学そのものが持つイメージをもっと合理的に、もっと分かりやすく哲学を説明してくれるような人物という感想を持ちます。

というのも元々誰かに対して宛てた書簡というスタイルで書かれたものであり、上記の自省録のような自己に対する思考とは違うアプローチから書かれているため分かりやすさが必要とされたからでしょう。

若きネロに対して哲学を教育する立場として重用されたのもこういう点が当時から高く評価されてのことだったのだろう。そして実際に彼が補佐している時のネロはそれなりに良くやっていたのである。

ネロそのものが暴君と化すのは母との関係が悪化し暗殺を計画した頃からであり、それがきっかけで悪行への抵抗が無くなったのかもしれない。

しかし問題点もある。

セネカの著作の引用の合間合間に著者の思想が前面に出てくるような箇所も多々。他にも孔子だとか禅の誰々がとか東洋的な思想面による引用があってこれも大雑把に「セネカの言と同じ」だとまとめられていたりする。

それはまあどうでもいい話ではあるのだが、せめてその熱量でセネカの引用を増やせなかったのか、と個人的には少し不満を持ってしまった。

それも私はセネカに興味があってこの本を手に取ったのであり、孔子とか禅や徒然草などにはほとんど興味がないからだろう。

(著者の思想に関しては、著者と私とでは当然のことながら感性の違いがあると思われるのでここでは言及はしない)

しかしこれがきっかけとなってセネカの全文が載っている本に対する興味を持つ、というきっかけという点ではまさに著者の言うように「入門編」として面白い本である。

もし購入するのであれば各著作の全文が載っているもののほうがよりオススメと思われる。(日本語訳されて出版されていないものも多いだろうが)

 

どちらの人物にしても約2000年前に実在した人物が当時に考えて、また思ったことを書き綴った文章から人生についての糧を得るのも面白いかもしれません。

私としては以前投稿した「ローマ史」の記事でも扱ったユリアヌスを含めて、特にローマ皇帝として絶頂の権力を握っていたマルクス・アウレリウスの思想や哲学や寛容さを学び取れる機会となったのは素直に有難い限りだと思っています。